「お受験」日記、その後。

父親がみた小学校受験を終えた子供の日々

忖度と贔屓

 政治家の忖度とお仲間への利益誘導が問題になっています。当初はそれほど大きな問題にはなっていなかったように思いますが、最近になってやおら問題になってきたような印象を持っています。私が思うに、忖度はどの組織にもあるもので、むしろ組織においては忖度できない方が問題とされるでしょう。だからこそ、当初はあまり問題にならなかったのではないかと思います。忖度を別の表現で表せば、「空気を読む」、「相手の意向を慮る」、「考えていることを推察する」、「阿吽の呼吸」などなど。仕事上では上司や取引相手の考えていることをこちらから想像して、あるいは先取りして行動に移して行くことが求められることは決して少なくないわけで、時に「いや、そんなつもりではなかったのですが、ありがとうございます」と取引相手に言ってもらえれば、評価は上がろうというものです。「あいつは気が利く」とか「使える」と言われることのひとつも「忖度」上手でしょう。ですから、組織の一部として生きている人の中では「忖度のどこが悪いんだ。普通だろう。」と思った人が多かったのではないかと思います。
 お仲間への利益誘導も、ある程度は「身内」や「知っている人」の様々なことの優先順位が上がることは自然なことです。「そりゃ気心の知れた人間に配慮するのは当然だ」、とか「どこの馬の骨かわからんやつを相手にすることはできんだろう」と考える人は多いのではないでしょうか。
 ただ、最近の政治家のことで問題となっているのは、公正さや公平さ、透明性が強く求められる場面で「忖度」や「贔屓」が強く働いたことではないかと考えます。もちろん、これはあまりにもあたり前のことです。
 さて、以上のことをお受験界で考えてみると、例えば面接はまさに「忖度」の世界ではないかと思います。学校の方針に沿った受け応えが求められます。自らの主義主張を前面に出して面接に臨むことは得策ではありません。時にこれが有効なことも入社試験などではあるようですが、少なくともお受験界では有効なことはほとんど無いのではないでしょうか。
 そして「贔屓」にしても、一部の小学校ではコネが効くとか、卒業生の子供だと受かりやすいとか、すでにお兄さんやお姉さんが入っていると受かりやすいとか、特定の人たちの子供は受かりやすい、というのは、それらが真実であるかどうかは別として、お受験界ではささやかれていることです。
 お受験界での「忖度」や「贔屓」が問題にならないのは、それらが「私学」でのことで「国公立」ではあり得ないことであること、入学してからの扱いは少なくとも表面上は公平で公正だからではないかと私は考えています。もし「私学」であっても、例えば特定の家庭だけは明確で納得のできる理由なくして学費が免除ということがあれば問題になるはずです。
 つまり、「忖度」や「贔屓」は、我々が日常的にある程度は許容していることなのではないかと思います。しかし、「忖度」や「贔屓」は許容されるとしても、それはあくまでも公正さや公平さが担保されていなければならないわけで、今般社会で問題になっているのはその公正さや公平さに大きな疑問が呈されているからだと思います。