「お受験」日記、その後。

父親がみた小学校受験を終えた子供の日々

検定の意味

 先日子供が受けたある検定の結果が来ました。英検のようなものです。

 その得点分布は正規曲線ではなく、右側が高い、つまり高得点者が多い曲線でした。「資格試験」のようなものでしょうから納得ですが、「検定は合格させるためのもの」とも言えるので、受かった!やった!と喜ぶようなものでもないんだな、と思います。

 **検定に振り回される子供はかわいそうだな、と思ったり、合格する喜びをモチベーションに、と思ったり、もするわけで、何れにしても本当に子供は大変だ、と実感しました。

面接直前。お父様に捧ぐ。

 お受験も大詰めを迎える頃になりました。すでに終わった試験もあると思います。

 先日も「お父様」である知人がお受験の面接をひとつ終えてからの一言。

 

 「学校によって言わなければいけないことが違うから大変ですよ。」

 

 まさにその通り。ではありますが、学校毎に覚えなければいけないのは建学の精神や学校の教育方針などだけだと思います。これも聞かれた場合にその質問にきちんと答えることができれば十分ではないかと思います。

「どうして志望されたのですか?」と問われて、

「私どもは我が子には###のように育って欲しいと考えておりまして、***という教育方針で子どもに接してまいりました。御校の建学の精神、教育方針は@@@であると知り、まさに私どもの理想とするところであると感動いたしました。私どもは今まで..<ここで特別なエピソードを挿入>..してまいりましたが、是非とも御校の先生方の御指導の下、素晴らしい環境の中で学ばせていただければ...」

なんて答えをすべくお父様は準備されているのではないでしょうか。そして、用意した答えを面接の場で必ず披露し、アピールするべく緊張しているのではないでしょうか。

 私自身が受けた面接の指導はまさにそうでした。

 

 しかし、本当にそれが必要なのか、私は未だに疑問に思っています。

 相手が成人ではありますが、私自身が採用面接をする立場になって考えることは、短時間で十分に相手を知ることはできないので、

 問題を起こしそうな人物は避ける

ことが大切であるということです。これは他の同僚も同じです。もちろん優秀な人材を見つけることも重要ですが、それ以上に問題となる人物を避けなければ職場が混乱します。その延長で考えると面接を受ける側は必ずしも他の人と比べて「特別」に印象づける必要はないと思います。

 大切なのは常識をわきまえていることであり、外見で言えば身だしなみであり、立ち振る舞いです。身だしなみは清潔なものをきちんと身に付けていれば十分で、高価なものである必要はありません。立ち振る舞いも、挨拶ができて、こちらの質問に的確に答え、普通に会話ができる。これだけで十分に思いますし、本当に優秀な人物であれば、これだけで秀でたものを感じます。

 おそらく、お受験の際の先生方が見ているのも同じようなことではないかと想像します。大勢のお子さんを預かり、その大勢のお子さんの親御さんと接していかなければいけない先生方は、「特別な」子供を見つけるよりも、常識的で強調して学校生活を築き上げていける家族を望んでいるのではないかと思います。

 もちろん学校側は優秀なお子さんを迎え入れたいと考えているはずですが、少なくとも面接の目的は常日頃から「特別な」ことをしている家庭よりも、常識的で協力的な家庭を見つけること、家族の中でも協力しあえている家庭を見つけることだと思います。そして究極的には問題を起こしそうな家庭を避けることではないかと私は考えています。

 というわけで、お父様に捧げたいのはひとつだけ。

 自らがわきまえている常識的な態度、立ち振る舞いさえ忘れなければ大丈夫です!

検定、について

 私は知りませんでしたが、英検のみではなく、今や算数検定や漢字検定などがあり、しかも小学生から受けているようです。

 では、単刀直入にこれらの検定に意味があるのでしょうか。

 意味があるとすれば、私は「勉強のきっかけになること」だと思います。ただ漫然と勉強するよりも「検定に合格する」という目標があれば勉強にも身が入るでしょう。でも、小学生に次から次へと試験を課すことが果たしていいのか、私には疑問です。検定の勉強ばかりでは時間の無駄、のように感じます。

 意味がないとすれば、どういうことでしょうか?仮に検定に合格しても、それ自体は何の役にも立ちません。もちろん合格した達成感や充実感は得られると思いますが、もっと他のことで達成感や充実感を得た方がいいと思います。「検定合格」は何の資格でもありませんし、入試や入社試験には役に立たないと思います。少なくとも私の職場の採用試験では役に立ちません。面接の際、履歴書に目を通しますが、**検定*級と記載があってもそれが有利になることはありません。これは私個人の意見ではなく、他の面接官の考えも同様です。「すごいね」ということはあってもそれが採用に有利に働くことはまずありません。**検定合格が採用条件に含まれていませんし、公の資格でもないからです。

 小学生が検定試験を受けることは悪いことではありませんが、子供に余計な負荷をかけるという意味で私はあまりよくは考えていません。我が子は検定に向けて頑張っていますが、もっと別のことをしても良いんだよ、と言ってあげたい気分です。

公文OB・OGインタビュー

 公文のサイトにOB・OGインタビューというものがあります。知人のお子さんが載っていたので見たのですが、すごい人がたくさん出てきます。

 「さすが公文!」という感じですが、「それだけ公文を経験した人が多い」、ということだと思います。「公文をやればできるようになる」、というわけではないでしょう。が、公文は「毎日継続するシステム」になっていて、子供の素質を伸ばすためには有利なシステムだと思います。一番のポイントは「毎日勉強すること、その習慣をつけること」。ですから、毎日勉強するのであれば、公文でも何でも良いと私は考えています。とはいえ、私の子どもも公文をしていて、その教材を毎週それをチェックしているのですが、確かに良くできています。うまくステップアップするように教材が組まれていて、ノウハウが蓄積されている感じがします。

 あまり公文は好きではないのですが、毎日勉強する習慣を付けるためのシステムとしては完成度が高く、子供の資質を伸ばすことができるので、OB・OGには「すごい人」が多い(?)のでしょう。うーん、これでは公文の宣伝みたいです。

東大生の小学生時代

 ある雑誌で東大生の小学生時代が特集されています。読んではいませんが、「だから何?」って思います。これを読んでお母さん方は「ウチの子も!」と思うのでしょう。

 もしその特集が、十分な母数をもって他の大学生との比較をしていれば、なにがしかの価値のあるものとは思いますが、東大生が大学で何を学び、卒後はどのような場で活躍しているのかを特集した方がよほどマシです。もちろんそのような特集、記事はアマタあるはずですが、もっと大切なのは子供が目標を見つけたらどうやってそれをサポートするか、だと思います。

 子供の選択肢を増やすために学力や体力をつけさせることには賛成ですが、東大生の跡をなぞるようなことに注力するのはバカげていると私は考えています。

自主性を伸ばす

 お受験以来、子供の勉強は事実上の詰め込みで「自主性」を伸ばすような勉強ではありません。私は子供の自主性は伸ばすべきだと考えていますので、これはいかんなぁと思っていました。もちろん今の時期は「詰め込む時期」ではあると思うので、どんどん「詰め込んで」いいとは思っています。創造性にしても基礎的な概念、知識が必要だと考えています。

 そんなある日、子供が夏休みの宿題の絵日記を書いている時のことです。昆虫採集のことを描いている時、子供が「昆虫って英語でなんて言うんだろう?」と早速調べようとしました。もう英語が始まっているので不思議ではありませんが、まさに子供が「自主的」に興味を持って「勉強」しようとした瞬間です。私は「おおっ!」と内心思いましたが、家内がすかさず「そんなの後にして絵日記を終わらせなさいっ!」と一喝しました。

 うーん、残念。まさに子供の自主性が芽生える瞬間を潰してしまったのではないかと私は感じました。ここで家内が子供に送ったメッセージは「余計なことはしないで言われたことだけしてればいい」というものです。勉強における自主性とはそもそもが「余計なこと」でもあるわけで、課題の先取りとは違います。確かに「自主的に宿題を始める」ことも大切ですが、もっと大切なことは勉強の過程でふとした疑問を調べることで、実は「余計なこと」で「寄り道」ですが、これこそが自主性であり、自ら学ぶことにつながると私は考えています。

 家内には「じゃあ、昆虫を英語で何て言うか調べて日記に書いちゃう?」と言って欲しかった。そうすれば、子供がどんどん疑問に思ったことを自分で調べるようになる後押しになったのではないかと思うのです。

 学問上の発見や、素晴らしい研究は誰も思いつかないようなこと、それは余計なことや寄り道から出てくると私は信じているので、子供にはどんどん横道に逸れて色々なことを学んで欲しいと思っています。

 そして横道に逸れるためには、それも素晴らしい横道に逸れるためには本道が太ければ太いほどいいので、子供にはどんどん勉強して欲しいし、高校生ぐらいまではどんどん詰め込まれて欲しいと願っています。

 

ほめると子どもはダメになる?

 「ほめると子どもはダメになる」という本を読みました。

http://www.shinchosha.co.jp/book/610647/

 

 父親は一読の価値があると思います。著者は「ほめてはいけない」とは言っておらず、「ほめればいいってもんじゃない」と言っています。詳細は本を読んでいただくとして、その内容は納得のいくものでした。日頃、学生を見ていて感じることと通じるものがあり、我が子に接する時の参考になりました。